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2009年03月24日
「アウトサイダーアート」を生み出すあなたへプレゼント。
お久しぶりです。
「アウトサイダーアート」を生み出すあなたへ言葉のプレゼント。
時代が必要性を求め、追ってきてますよ。
「アウトサイダーアート」は、
「現代」の表層的現象が、
いかに狭隘な自己の観念による金縛り状態で
息苦しいものであるかを、「理屈」ではなく、
「直感」で感じさせる力がある。
それこそが、本来の「表現」の力なのだと思う。
アウトサイダーアートを、
障害者芸術などと考えるのは、大きな間違いだ。
私たちが、“正常”とみなしているのは、
おそらく“自意識”の領域が健全に発達している、
というレベルのことだ。
今日の社会生活は、その健全な“自意識”があることで、
健全に営まれる。
人に迷惑をかけないとか、恥ずかしいことをしないとか、
お金を稼いで人並みの生活をするとか、
一生懸命に勉強して恥ずかしくない人間になるとか・・・。
そうした自意識を鍛え上げて、
その自意識の力で社会的に成功して、
その自意識をさらに肥大化させて、地位、名声をはじめ、
自分を飾り立てるための物やお金や偶像を、
さらに過剰に追い求める人もいる。
そうした行き過ぎを咎める声もあるが、
目立つことが素晴らしいことであるという自意識の価値観は、
この社会にしっかりと根を張っている。
そうした“正常”世界の尺度と、
まったく別のところにあるのが、
アウトサーダーアートなのだと思う。
アウトサーダーアートは、
自意識よりも深いところにある、
「生の根元に忠実に生きる人によって生み出されている。」
その領域は、自意識を強くもっている私たちにもあるものだ。
私たちは、表層の自意識の部分だけを“自分”だと感じながら、
その“自意識”の部分だけで世界と向き合おうとするが、
実際には、
自意識の部分は氷山で言えば水面上に出ている部分にすぎない。
見えていない部分は、無いのではなく、
私たちは下側からしっかりと支えている。
アウトサイダーアートは、その部分から発せられる。
自意識が弱いゆえに、
根の部分に極めて敏感な人たちが作り出す表現は、
自分の自意識を頑に防衛しようとする人たちからすれば、
脅威であり、不気味であり、できれば避けたいものだろうが、
狭隘な自意識に縛られて生命力を減退させて、
そこから何とか脱したい人たちにとっては、
自分という氷山の海面下の見えにくい部分にある、
可能性を照らし出してくれるので、
清々しく感じられるうえに、
漲るような力を与えられるのではないだろうか。
(抜粋)
以上です。
友人よ、健康で。
IVER
「アウトサイダーアート」を生み出すあなたへ言葉のプレゼント。
時代が必要性を求め、追ってきてますよ。
「アウトサイダーアート」は、
「現代」の表層的現象が、
いかに狭隘な自己の観念による金縛り状態で
息苦しいものであるかを、「理屈」ではなく、
「直感」で感じさせる力がある。
それこそが、本来の「表現」の力なのだと思う。
アウトサイダーアートを、
障害者芸術などと考えるのは、大きな間違いだ。
私たちが、“正常”とみなしているのは、
おそらく“自意識”の領域が健全に発達している、
というレベルのことだ。
今日の社会生活は、その健全な“自意識”があることで、
健全に営まれる。
人に迷惑をかけないとか、恥ずかしいことをしないとか、
お金を稼いで人並みの生活をするとか、
一生懸命に勉強して恥ずかしくない人間になるとか・・・。
そうした自意識を鍛え上げて、
その自意識の力で社会的に成功して、
その自意識をさらに肥大化させて、地位、名声をはじめ、
自分を飾り立てるための物やお金や偶像を、
さらに過剰に追い求める人もいる。
そうした行き過ぎを咎める声もあるが、
目立つことが素晴らしいことであるという自意識の価値観は、
この社会にしっかりと根を張っている。
そうした“正常”世界の尺度と、
まったく別のところにあるのが、
アウトサーダーアートなのだと思う。
アウトサーダーアートは、
自意識よりも深いところにある、
「生の根元に忠実に生きる人によって生み出されている。」
その領域は、自意識を強くもっている私たちにもあるものだ。
私たちは、表層の自意識の部分だけを“自分”だと感じながら、
その“自意識”の部分だけで世界と向き合おうとするが、
実際には、
自意識の部分は氷山で言えば水面上に出ている部分にすぎない。
見えていない部分は、無いのではなく、
私たちは下側からしっかりと支えている。
アウトサイダーアートは、その部分から発せられる。
自意識が弱いゆえに、
根の部分に極めて敏感な人たちが作り出す表現は、
自分の自意識を頑に防衛しようとする人たちからすれば、
脅威であり、不気味であり、できれば避けたいものだろうが、
狭隘な自意識に縛られて生命力を減退させて、
そこから何とか脱したい人たちにとっては、
自分という氷山の海面下の見えにくい部分にある、
可能性を照らし出してくれるので、
清々しく感じられるうえに、
漲るような力を与えられるのではないだろうか。
(抜粋)
以上です。
友人よ、健康で。
IVER
Posted by IVER. at 11:28
│アウトサイダーアート